■カンフーは定着したものの香港映画は一時期飽和状態に
ブルース・リーの登場から一躍世界から脚光を浴びるようになった香港映画。ブルース・リーの死後後継者としてジャッキー・チェンが大活躍したこともあり、香港映画といえば「カンフー」というイメージが定着しました。香港映画は、アメリカ映画、フランス映画その他国映画と並び市民権を得たわけですが、逆に言えば、「カンフーでなければ香港映画を観ない」「香港映画でカンフー以外のジャンルの作品(例えばヒューマンドラマなど)はヒットしない」といった反応を示す人も多かったような気がします。中には「カンフー映画なんて(面白くない)」と否定的なイメージをもつ人も少なくなかったでしょう。私の感覚では、1980年代半ばごろには香港映画は飽和状態になっていた感がありました。個人的には、ジャッキー・チェンの派手でスリル満点のアクションにも飽きていた時期でした。
■『男たちの挽歌』で流れを大きく変える
ところが、香港映画の流れを大きく変える一大事件が起きました。1986年に公開されチョウ・ユンファの出世作となった『男たちの挽歌』の大ヒットです。この作品は、簡単に言うと香港マフィアと警察をめぐるアクションで、男たちの友情・絆・裏切りなどを赤裸々に描き、銃撃・爆破シーンなど派手なアクションを交えながらの展開。それまでの香港映画には考えられない要素がぎっしり詰まっていました。アクションの物凄さに圧倒させられただけだけでなく、心を熱くさせるヒューマンドラマ的な要素も併せ持つストーリー展開に、「カンフーでなくても十分面白く感動させる映画を、香港映画界も制作するようになったのだ」と認識させられました。今からちょうど35年前のことです。『男たちの挽歌』のブレイクを契機に数々の同様な作品が公開されヒットし、こうした一連の映画は「香港ノワール」と呼ばれ、一時期大ブームを引き起こしました。こうしたブームに乗って当時大学生であった私は、某旅行会社の主催する「香港映画ロケ地巡りツアー」に参加、撮影現場に行って、チョウ・ユンファと会い握手を交わし記念撮影まで実施。当時超多忙であったにもかかわらず、チョウ・ユンファは「コンニチワ」と笑顔で握手してくれました。
しかし、その「香港ノワール」も今では影をひそめ、ここ10年ほどは、ブルース・リーに詠春拳を教えた師匠イップ・マンの生涯・活躍を描いた『イップ・マン』シリーズが大ヒットを続け、再びカンフー映画が息を吹き返した格好です。ただし、「香港ノワール」が単なる一過性で過去のもと切り捨てるわけにはいきません。1984年に英中共同声明で1997年7月1日に香港が中国に返還されることが決定し、数多くの香港人が失望、中には香港を脱出する人が続出しました。夢も希望も打ち砕かれ自暴自棄になる状況下で、『男たちの挽歌』など一連の「香港ノワール」を観た人々は、香港に希望を見いだせる新たなヒーローを求めていたのではないでしょうか。「我々は中国人ではなく『香港人』だ」というアイデンティティを強く抱いていた時代であったと思います。返還までの限られた時間・時期を精一杯生き切ることに全身全霊を傾けた当時の香港人の熱い思いが伝わります。
■香港人の今後の活躍に期待
『男たちの挽歌』公開から35年。その間、香港返還、ブルース・リーの銅像建立、香港デモとさまざまなことが起きました(今年2月には東京・新宿武蔵野館で『男たちの挽歌』の1回限りのリバイバル上映がありましたね)。香港人としての自らのアイデンティティーが今後どうなっていくのか、彼ら(彼女たち)の活躍に期待したいものです。■