■『蘇るドラゴン』―読めば読むほど新たな発見が
青土社が発行する思想・評論誌『現代思想』は、文芸・文化・社会現象などあらゆるジャンルを学術的・多角的な視点で各批評家・評論家などが独自の理論・考え方を展開する高尚な読み物として定着しているようです。同誌に、今から約8年前の2013年9月25日発行の「臨時増刊号」としてなんとブルース・リーの特集が組まれました。題して「総特集・BRUCE LEE ブルース・リー・没後40年、蘇るドラゴン」。これは、学術論文的な説明が主流ですが、そのほか生前のブルース・リーと交流した数少ない日本人の1人で俳優の倉田保昭、映画評論家の江戸木純などによるブルース・リー論等も紹介されています。すでに読んだ方もいるかと思いますが、ブルース・リー・ファンなら必読の書といえるでしょう。多少難解な部分もありますが読みごたえは抜群。各専門家が様々な角度からブルース・リーの人物像、映画、社会背景などを探究。「こんな見方もあったのか(できるのか)」と目からウロコの内容で、時間がたつのも忘れて読みふけってしまいます。今回、数年ぶりに約260頁の同誌を再び読破。読めば読むほど新たな発見があります。
私がとくに感銘を受けたトピックは、ブルース・リーがアメリカのアフリカ系その他マイノリティーに大きな影響を与え、彼らに民族的自立・自己認識を促したこと、アメリカ国内のみならず全世界に平和の象徴として認知・賞賛されているという事実(ボスニア・ヘルツェゴヴィナでブルース・リーの像が建てられたことなど)。さらには、アフリカ系アメリカ人にとって真の解放者は、モハメッド・アリではなくブルース・リーだった(!)という事実。ブルース・リー主演作品の専門家による独特な見解による解説も大変興味深く、読んだ後で再度ブルース・リーの主演映画を観ると、また新たな発見があるかもしれません。
ところで、アフリカ系アメリカ人にとってブルース・リーがヒーロー的存在であったことは、かつてアメリカ音楽業界において栄華を極めたモータウン(アフリカ系アメリカ人のベリー・ゴーディ・ジュニアが創始者)制作の映画『ラスト・ドラゴン』(1985)を観ても、「なるほど」とうなずけます(「総特集・BRUCE LEE ブルース・リー・没後40年、蘇るドラゴン」でも『ラスト・ドラゴン』について触れられていました)。主人公(「ブルース・リーロイ」を演じたアフリカ系アメリカ人俳優のタイマック)がブルース・リーの大ファンで彼のように強くありたいと武術を極めようと奮闘します。『燃えよドラゴン』を上映するシーン(観客はアフリカ系アメリカ人やアジア人)があり、とくに映画館内でブルース・リーが白人の悪役オハラを蹴散らす場面に対し嬉しそうに反応しエキサイトするアフリカ系アメリカ人の顔がクローズ・アップされ、いかにブルース・リーが彼らにとってヒーローであったかがうかがわれます。
■『ラスト・ドラゴン』―カンフー(ブルース・リー)と音楽の融合
『ラスト・ドラゴン』は、ストーリーの流れの中で『燃えよドラゴン』のほか『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』の有名なファイトシーンがモータウン・ミュージックとともに出てきます。テンポの良いリズミカルな音楽とブルース・リーのアクションが見事にマッチしており、ファンにとってはたまらない作品に仕上がっていました。ロードショー公開時高校生だった私は、あまりの面白さに2、3回映画館に足を運んだ記憶があります。ただ、あのモータウンが純粋にミュージカルタッチの映画、ヒューマンドラマなどの制作を手掛けるのなら分かるのですが、ブルース・リー、カンフーをモチーフにして映画を制作したことに対し、当時やや違和感を覚えたことは事実です(ミュージックとカンフー=ブルース・リーの融合がここまで絶妙にマッチングしていたことに感銘を受け、存分に楽しませてもらいましたが)。しかしながら、今にして思えば、決しておかしなことではなく自然な流れだったわけです。これは、アフリカ系アメリカ人が心底からブルース・リーをリスペクトしていたことの表れと言えます。
■「ドラゴン再び蘇る」ことを期待
話を『現代思想』に戻しますが、編集現場で検討中であれば嬉しいのですが、同誌が再来年(2023年)に「ブルース・リー没後50年特集」として発行される(ドラゴンが再び蘇る)ことを、1ファンとしては期待したいものです。■